介護との出会い

DSCF8830WEBもともとウォーキングを始めたのはいわゆるモデルウォーキングで、美しく歩きたい・美しいと言われたい、そんな若い女性ならではの重いからだったと記憶しています。

いかに美しく歩けるか、ポーズもターンも立ち居振る舞いもすべては周りからの評価、美しさの為。

そこに大きな変化を与えてくれたのは、介護の世界でした。

もしこの世界や人に出会っていなかったら、若い人独特の「こうすればいい」「これが正しい」の押し付けと「先生」という響きに自信過剰な指導をし続けていたかもしれません。

関わって5年。

この5年で私は包容力、レッスンや講座を通して、どうして差し上げるのが私の役割なのかということを考えるようになりました。

自分が目立ちたい、良い先生だと言われたい、そういう虚栄心はどんなに小さくてもどんなに一瞬でも、見抜けられます。

私のメソッドはすごいのよ、私はすごい先生なの、そんな慢心やプライドは誰の役にも立ちません。

頑張って無理やり盛り上げようとすれば、一瞬にして心は遠くに離れてしまう。

 

目の前にいる方、それは年齢がどうこうでも性別がどうこうでもなく、その人の心の中にあるものをふとつかみ取り、一緒に笑い時間をすごす。

こちらを向いていない人、心があっちにあって私を見ていない人に、どうやってその場をキラリと光る喜びで包むか。

これは、介護の世界もファッションのような晴れやかな世界も知っている私の役割と今は思っています。
人間生きていれば色々な事があって、悲しみとか後悔とか病気とか、そういうものも自分のうちに抱いて生きていますね。

それを感じた上で、特別ではないその一瞬を一緒に喜び合う経験は、すべて人生の先輩方のご指導によるものです。

盛り上げて笑わせるだけではなく、正しいを押し付けるでもなく・・そんな包容力のある指導や視点、経験を積ませて頂いていることに心から感謝しています。

よく「正しい」ウォーキングを求められますが、「正しい」は人・環境・その時の状況、すべてで変わるもの。

「正しい」ですべてくくってしまわないで、自分の心と身体と毎日のゆらぎを感じ、歩くこともそうでないことも楽しんで頂きたいと思います。

ちょっと書きたくなったので・・独り言ですが最後までお読みいただき光栄です。

 

 

 

 

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