地蔵パラダイスと石像ランド~高円寺編6~(まち歩きコラム)

こんにちは、歩き方コンサルタントの篠田洋江です。

地蔵パラダイスと石像ランド~高円寺編6~

前回につづき高円寺の寺町を紹介していく。ただタイトルの通り、今回は地蔵と石像に萌えたという話にほぼ終始する。

■福寿院

前回の西照寺から数分歩けば福寿院に到着する。開創は天正19年(1591年)とも慶長19年(1614年)とも説があるが、寺伝によると寛永4年(1627年)に徳川幕府創業に功績のあった伊賀藩士の慰霊のために、同藩士12名が開基となって開創したとされている。

美人画や木曽街道六十九次などの風景画を描いた江戸後期の浮世絵師・池田英泉の墓があり東京都指定旧跡となっている。

目の前は細い道で地元の人が行き来する程度だが、寺のすぐ横は大工事中。公共の施設ができるようだから人の流れも変わりそうだ。

■きたー!ジゾパラ&石像ランド

長善寺は天正18年に谷中で開創し、谷中本町(荒川区東日暮里)に移転したものの、国鉄線路拡張により大正15年に現在の地に移転した。

存在感がビンビンの赤い門。写真で見るとさほど感じないかもしれないが、番人のような大きな門は来る人を選んでいるようにも見え一瞬身構えてしまう。しかし門のすき間から見える地蔵や石碑の魅力的なこと!ある石像は何かを訴えるような表情と勢いをもち、ある石像は牧歌的で我関せずなマイペースな表情を見せ、ある石像は半笑いなのだ。

ここに入らないという選択肢はないだろう。

まずは本堂へ。黄色の扁額はインドやアジアの寺にでも来たかのようなアジア感を感じさせる。これは高円寺っぽいかも。

そして、あぁ~地蔵よ、石像よ。あなたはどうしてそんな表情なの?この地蔵パラダイス、石像ランドを皆さんにもぜひ体験していただきたい。

石像それぞれには個性や主張があるのだが、かといってつぶし合わず協調しすぎず。みんな仲良くしなきゃダメとか一体感を持ちましょう、みんな一緒に、ではないこの自由気ままそれぞれ自立しているのがいい。地蔵も石像もぜんぶ自由だ。

■鳳林寺

ジゾパラはまだ続く。鳳林寺は長善寺の向かいにあり、永禄元年に牛込に開創。寛永12年に同じ牛込の弁天町に移転しさらに大正3年に現在の地に移転している。また明治7年には西早稲田にあった夾山寺が合併している。

正面横には「大石仏の地蔵」といわれる大きな延命地蔵と地蔵群が安置されている。もともとは夾山寺に造立されたものだそうだ。

境内には暴力や悪を退治するために荒々しく怒った顔をしている三宝荒神堂、通称「あらがみさま」が、除災笑福を願う人々の民間信仰として安置されている。

ちなみに信仰に詳しくないのでいつもどうしたらいいか迷うのだが、あらがみさまには神社の参拝方法、いわゆる二礼二拍手一礼が良いのだろか?しかし民間信仰だというし、しかもここは寺であるから手を合わせるだけでよいのか。

正直、冠婚葬祭のお焼香も含めどうしたらいいか分からない場面というのがあって、毎度ネットで「お焼香 マナー」なんて検索したりもするものの、マナーという言葉にやや抵抗があってどうもしっくりこない。本来の日本の生活文化に根づいた所作を知りたいと思ったりもする。個人的に。

■だからおもしろい

今回は、寺の概念を覆すジゾパラに出会うことができた。寺=おごそかという先入観を覆す寺との出会い。こういうのがおもしろいんですよね。

(つづく)

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