経験と好奇心が寺めぐりを楽しくさせてくれる~高円寺編5~(まち歩きコラム)

こんにちは、歩き方コンサルタントの篠田洋江です。

週1回お届けしているまちコラム。本日は高円寺シリーズ5回目をお届けします。

【経験と好奇心が寺めぐりを楽しくさせてくれる~高円寺編5~】

「高円寺の特集だけで1年駆け抜けそうだな」そんな気分にもなる高円寺特集第5回目。高円寺南あたりをうろちょろしているだけなので、本当に1年続くかもしれない。

■あちこち寺町

前回の庚申塔から環七通りを渡り5分も歩けば、寺町一帯に到着する。長龍寺、宗泰院、松応寺、西照寺、さらに数分歩けば福寿院、長善寺、鳳林寺と7つの寺が密集している地域である。

■まずは長龍寺

文禄2年(1593年)麹町四番町(現・千代田区四番町)に開創し、明治42年に現在地に移転している。

区の指定有形民俗文化財である豆腐地蔵も安置されている。豆腐地蔵の正式名称は「石像地蔵菩薩立像」というのだが、小僧に化けた地蔵が豆腐を買いに行ったが、木の葉の銭を使用したため怪しまれ斬られたという「長龍寺縁起」に由来し、俗称として豆腐地蔵と呼ばれているそうだ。

個人的には・・・ひもじい思いに耐え切れず豆腐屋の前で思わず豆腐に手を出してしまった子供を店の主人が見つけ奉行所につきだそうとしたところ、子どもが逃げ出そうとしたため思わず斬りつけてしまった。のちに聞くと子供は病に伏せた母のために消化の良い豆腐を持っていきたかったことが分かりその供養として建てられた地蔵・・・ではないか、なんていうストーリーを展開してみたりもして。

寺の境内に入ることはできないため小僧に化けたとされる地蔵を拝むことはできなかったのが残念。代わりに駐車場に安置されていた大きな釈迦如来像をおさめることにする。

■宗泰院

長龍寺と同じく文禄2年(1593年)麹町四番町に開創し、明治42年に移転している。

弁財天堂もあるようだが、なんせここも境内に入れない。

ちなみに長龍寺や宗泰院のあった麹町四番町といえば、与謝野鉄幹・晶子が住んでいた街で、歩けば旧居跡の碑があるから散歩がてら立ち寄るといいかもしれない。一番町には滝廉太郎の旧居跡もあるし旧居跡めぐりもできる。

■松応寺

明暦2年浅草に開創し大正7年に現在地に移転。農政学者の佐藤信淵(さとうのぶひろ)の墓がある。

境内に入ると、手入れされた庭に地蔵・地蔵・地蔵!さらに左手には日限開運地蔵尊(ひぎりかいうんじぞう)が安置されているという地蔵パラダイスである。

地蔵パラダイスな”ジゾパラ”エリアはこちら。

私が歩いた頃はつつじが咲き、緑とあいまってとても美しく清らかな気持ちになれる場所だった。

■西照寺

天正2年開創、明治43年に現在地に移転。旗本の参禅者が多かったそう。

境内は緑豊か、周りの音がかき消されるような静けさがある。鐘撞堂やとろけ地蔵が安置されている。

■経験や人生が生きてくる

高円寺南に限らず、近隣の梅里や堀之内、松ノ木地区などにも寺が並ぶエリアはあるので、時間や気分にあわせて他エリアの寺もめぐるのもいい。このブログでもいずれご紹介するとして、寺町は閑静な住宅街でもあるから、高円寺付近で住まいを探すなら寺めぐりをしながら住まい探しをしてみてはいかがだろうか。その街ならではの暮らしが見え雰囲気がつかめる。

私が寺をめぐって思うのは歴史背景や、寺以外の興味関心・好奇心があるほど楽しいということ。経験や雑学が、風景や建物の価値と魅力を惹き上げてくれるのだ。若い頃より中高年、中高年より人生の成熟期を迎えた時の方がきっともっとおもしろい発見があり寺に魅了されるだろう。

寺に限らず価値や魅力を感じる力を高めるには、いろいろな経験を積み、一見無駄に感じる物事にも好奇心をもって生活することなのかもしれない・・よね。

次回は続きの福寿院から。

(つづく)

<出典>

杉並区散歩地図 昭和59年度版 

杉並区公式ホームページ 文化財案内標示板  >>サイトはこちら



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