暮らしの中の風景・寺町を歩く~高円寺編4~(まち歩きコラム)

こんにちは、株式会社Cowalkingの篠田洋江です。

週1回お届けしているまちコラム。本日は高円寺シリーズ4回目をお届けします。

【暮らしの中の風景・寺町を歩く~高円寺編4~(まち歩きコラム)】

いまさらだが、“高円寺”とはどこからどこまでを指すのだろうか。このコラムでは、高円寺北と高円寺南を対象にしているが、馬橋地区の馬橋稲荷神社も紹介したりして、たまに寄り道もありで書いている。

さて本日は寺町としての高円寺を取り上げていく。1回では終わらないので3回シリーズくらいになりそう。ゆっくり気ままにお付き合いください。

■高円寺南にズームイン!

高円寺南は、JR高円寺駅から東京メトロ丸の内線の新高円寺駅・東高円寺駅が地下に通っている青梅街道にかかるエリアである。2つまたは3つの駅が使えて利便性も高く、実際歩いてみると集合住宅が多いなという印象がある。

にしても、相変わらず地図を見ると境界線にわくわくする。例えばJRの高架下のどこからが南エリアなのか、中心から?高架下はどちらに含まれるの?など。地図を眺めるだけでテンションがあがり妄想で楽しめるだなんて、ほんと楽しい人生。

■スタートは高円寺天祖神社

では暮らしの中にあり散歩にもちょうど良い風景のひとつとして高円寺の寺院を歩いて紹介していく。

まずは、東高円寺駅近くの高円寺天祖神社から。環状七号線を挟んで中野側エリアになるので、高円寺と名はつくものの中野の影響をかなり色濃く感じるエリアだ。

案内標示板によると、旧高円寺村の鎮守で創建は寛治元年(1087)。郷土民の山下久七が伊勢神宮から分霊したそうだ。う~ん参った、実は昭和59年発行の杉並区散歩地図によると、旧小沢村の鎮守であり寛治2年に分霊したと書かれているから。創建の年も村の名前も合わない。こうなると本当のところはどうなのかというのも気になるし土地の成り立ちまでもが気になってしまう。日を改めてもう少し深堀してみよう。

境内には三峰神社と清姫稲荷神社があり裏手には神輿蔵もある。ベンチもあり近所の憩いの場のようだが、神社裏手は蚊に刺されるから注意。

境外末社の田中稲荷は高円寺天祖神社から歩いて3分ほど。案内表示板によれば「「受持神」を祭神とした旧高円寺村の農家の守り神で、(中略)桃園川ぞいに広がっていた水田の中にあったことから、田中稲荷の名で呼ばれるようになったといわれています。(原文まま)」

文中にも出てくる桃園川は現在緑道となっているが、いかに中野や杉並の村々にとって存在が大きかったかを、寺院や地の歴史文化を学ぶほどに感じる。水の名流れは人の流れ、生命線だ。

個人的には、は田中稲荷横にある魚屋さんにも足を運んでみたいところだ。おかみさんの声が明るいし店に勢いがあるし、”立ち寄りたくなるいい店”って感じ。歩くと何となくピンとくる店ありますよね。

■環七沿いにある庚申塔

高円寺天祖神社から環七通りに向かうと、民間信仰石塔である庚申塔がまつられている。特に車の多く通る環七沿いに民俗文化財があるとは思いもよらず、気に留めなければきっと通りすぎてしまうだろう。

鳥居の先には賽銭箱。庚申信仰でよくみられる青面金剛、不見・不聞・不言(見ざる聞かざる言わざる)の三猿、日月二鶏を配する塔があり、右横には阿弥陀如来像も。ぎっしり感を感じざるをえないが地域の人々により手入れがされているのだろう、キレイに保たれているのが分かる。

■暮らしの道に隠れたお宝

寺町の紹介…と言った割に3社、いや田中稲荷は末社だから2.5社の紹介ですっかり長くなってしまった。歩いた備忘録も兼ねているからどうも長くなってしまう。そう、これは私の備忘録だ。誰かにとっては何の面白みもなく価値がないかもしれないし、誰かにとっては興味深く楽しいと感じてくれるものかもしれない。どっちでもいい、私の備忘録だし私が楽しいのだ。

そんな自己満足な終わり方でごめんなさい、おほほ。続きはまた次回。

(つづく)

<出典>

杉並区散歩地図 昭和59年度版 

杉並区公式ホームページ 141 田中稲荷と堀之内新道 【神社】(高円寺南1丁目30番)>>サイトはこちら



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