私で言えば、「篠田さん」「しのぴー」「洋江さん」
場所や環境によっては、「先生」という役割で呼ばれることもあります。
このように環境によって呼ばれ方が違うと「その環境にあった自分をいつの間にかつくり、適応させている」ということがありませんか?
例えば私は「先生」と呼ばれる場では、それなりに先生の立場と振る舞いを意識しますし、「しのぴー」と呼ばれる場は、お互いカジュアルな関係ですからビシッとしなくてもいいわけです。
どんな呼ばれ方をされるかは、どんな自分でいられるか・どれだけ自分を出せるかにもつながります。
カジュアルならいいということではないんです。
変わりたいと思ったら、それが家族であってもなんであっても、今までのコミュニティとはいったん離れて自分を見ないと変わりません。
今の環境・人・モノ・コトと同じ呼ばれ方では、その枠からでていかない。
ですから、未来を歩く姿勢学や個人コンサルティングなど私の講座や講義ではあだ名をつけるんです。
ご自分では思いもつかないあだ名が、まず枠をこえ、少し先の未来のなりたい自分へのパスポートになっている。
料理名で、北欧風で、古代ローマ帝国で、北海道が好きだから北海道っぽく、破裂音をいれて。というハードルの高いリクエストにも答えています(笑)
他にも未来を歩く姿勢学であだ名をつける理由はありますが(こちらの方が深いかも)、またみなさんにお伝え致しますね。