こんにちは、歩き方コンサルタントの篠田洋江です。オンラインウォーキングスクールを運営しています。
本日はわたしの会社「Cowalking」の由来についてすこしお話をさせてください。
「コウォーキング」と読みますが、よく「コワーキング」と間違えられます。
確かにそうですよね、わかります(笑)
ちなみに社名を考えている時に、コワーキングスペースに関するニュースを見たのがきっかけでビビビ!と着想したので、間違えられても嫌な気持ちにはなりません。
■自立・自律したものが共に、一緒に
さてCowalkingのCoには
✅共に、一緒に
✅それぞれ別のところから自立した者たちが集まってくる
という意味があるようで、会社を表すCorporationのCoもこれにあたります。
これらの意味を合わせると・・・Cowalkingは
共に歩む
共通の何かに向かって歩む
一緒に歩む
という意味になります。
さらにCoには自立・自律的という意味も含まれるそうなので
自立した、自立したいと願う人
自律した、自律したいと願う人
が共に歩む。
ということですね。そこでその歩む姿や環境を含めて Cowalking にしています。
■ Cowalkingな環境
ところでわたしはCowalkingな環境かを仕事の軸にしています。
誰かに頼ることも頼られることも人生にはあるけれど、自らの足で歩もうとしない人をおんぶしてまで歩き続けられる人はいません。
自らの足で歩もうとしない人とは、身体的に歩けるか否かではなくて心的に歩もうとしない人を指します。
・誰かにおんぶすることが当たり前
・依存することが当たり前
になってしまうと歩き方を忘れます。一歩がとても大変で仰々しいものになってもしまいます。
おんぶされたくてもなんとかとどまって自分で歩く。
そんな自ら歩もうとする姿を見て支えてくれる人、手を差し伸べてくれる人が出てくる、ですよね。自戒を込めて。
しかし自立・自律するのは、言葉でいうほど簡単ではないと思います。し、わたしもその過程で毎日毎日もがいています。本当に毎日いやになっちゃうほどです。
時には歩みを止めてしまいたくなる時があります。
「諦めた方が簡単だな」
「ここでやめてしまった方がいいな」
「この先に明るい展望などみじんも見えない」
希望も期待もない、絶望と暗い未来しか想像できない時もあるかもしれません。
「その先にきっと明るい未来があるよ」「がんばれ!」と言われても、うわべだけの絵空事にしか聞こえない気持ちになってしまう時だってあるはずです。
それでも歩まないといけない、人生ってそんなドSなところもあると思います。
■でも、いい人生を歩みたい
それでも自分で歩く意思は持ち続けていきたい。
だって「よりよく生きたい」から。
自分なりには頑張ってきたし、誰にけちょんけちょんに言われても関係がないでしょ。
自分的には「よりよく生きたい」と思っての選択だったんだから。その時は。
過去よりは今。
過去の様々な失敗や経験や反省や後悔も含めてここからまた一歩前に踏み出せるのか。1mmでも動けるのか。
動けない日も動きたくない日もあると思いますが、でも少しでも一歩を出していきたいし、歩いているうちに歩くのが楽になることだってある。
「あの時があったから、今は軽やかに歩ける」
みたいな。きっと。
とにかく「よりよく生きるために」一歩一歩歩みたいですよね。
■誠実に頑張る人たちの拠りどころに
さて話を戻し、Cowalkingは誠実に自分なりに頑張る人たち、仕事や社会の中でひとまずなにかしらの迷いもありつつ自分の人生を歩む人が心地よいと感じてくださる環境でありたいと考えています。
そしてよりよく生きたいと願う人たちの「心の拠りどころ」でもあると思っています。
自らの意思で歩む人を応援したい、それがCowalkingですしスクールといっていいのかもしれません。
もし共感してくださる方がいればうれしいことですし、10年経っても自分の価値観とCowalkingのミッションが変わらないので、ニュースをみてビビビと来たのはあながち間違えではなかったなと思いますね。
人生の中にはいろいろな過程があり、ひとりでは乗り越えられない時もあります。そんな時にCoであること。共に歩めること
だけれど復活した時にはまた自立し、誰かにとってのCoであること。そのような生き方とあり方に価値を見いだしてくださる方、まさにCowalkingな人たちを、私は心から応援しております!