こんにちは、歩き方コンサルタントの篠田洋江です。
「立ち居振る舞い」と聞いて、あなたは何を思い浮かべるでしょうか?名刺の渡し方、お辞儀の角度、手の置き方…確かにこれらも大切ですが、実はもっと深い本質があることをご存知でしょうか。
20年以上にわたり、延べ2万人以上の方々に立ち居振る舞いを指導してきましたが、印象やマナーという文脈だけで立ち居振る舞いを捉えるのはもったいないと思っています。「大人の立ち居振る舞い」の本質についてお伝えします。
◆なぜ「その場限りのマナー」では美しくならないのか?

マナーとしての立ち居振る舞いを学んでも、ふだんはただの「だらしない人」!?
多くの方が立ち居振る舞いをマナーの文脈で学ふと思います。手の置き方、名刺の渡し方、ジャケットの着脱方法…これらを完璧に覚えても、”なぜかその場限りで終わってしまう方がいらっしゃいます。
面接の時だけ美しい立ち居振る舞いをして、それ以外はだらしない。研修中は完璧な所作なのに、日常では全く違う人になってしまう。
なぜそうなるのか。それは他人ありきのマナーとして立ち居振る舞いをとらえているからです。
これではいくら立ち居振る舞いを整えても、その場だけ取り繕っている人になってしまいます。
特に40代50代になると、職場でも重要なポジションを任される機会が増えるもの。その場限り感のある立ち居振る舞いひとつで「この人は裏表がある」「印象だけだ」と思われてしまうことがあるかもしれません。
これはもったいない。
マナーとしてではなく、立ち居振る舞いに関しての根本的な考え方が正しく認識していないからなのです。
◆本質を理解すれば、すべての所作が美しくなる

・和と洋の所作に共通する「ある概念」
例えば、手の置き方を考えてみましょう。
洋の所作では、右手の上に左手を重ね、卵を持つように手首を返しおへその下あたりに置くのが一般的です。
一方、和の所作のメソッドの1つでは、指を揃え手のひらを太ももの上に置く作法があります。
この2つは一見すると全く違う所作に見えますが、実は共通する重要な概念があると私は考えています。
・すべての美しい立ち居振る舞いに共通する概念
その共通点とは「分相応」ということです。
どういうことかというと、自分の領域の中で立ち居振る舞うということなのです。
例えば、ジャケットを着る時を想像してください。昔の刑事ドラマのように、ジャケットをブンブン振り回して着る人が近くにいたらどうですか?
「ちょっとジャケットがあたるじゃん」
「もっとそっちで着てよ」
と思いませんか?私は思います。少なくても気にはなります。
このような立ち居振る舞いを、単純いマナーができていないとかマナーとしてNGと切り捨てるのは簡単です。
そうではなく「分相応」な振る舞いをするという観点で見た時に、なぜこのジャケットの振る舞いにイラっとくるのか、それはこのジャケットを主があなたや周りの人の領域に入り込んでしまっているからです。
逆に美しい立ち居振る舞いとは、自分の領域の中でジャケットの着脱が行えることいえます。
なぜ私がそう考えるのか?をお話しします。
・禅寺の修行僧が教えてくれた「風呂敷の法則」

10年ほど前に福井県のあるお寺に宿泊体験をした時のことです。朝の修行での立ち居振る舞いに感動を覚えました。
修行僧のみなさんは風呂敷ほどの布を懐から取り出しその上に正座しお経を唱えます。終わると風呂敷の上からスッと立ち上がり、畳んでしまってススと歩いていく。
座る仕草、お経を唱える姿、立ち上がる姿、あすくのそ歩幅までもまさに風呂敷の大きさでの立ち居振る舞いだったのです。
自分の領分はこの風呂敷である。
そう私には見えました。
自分なりの分相応の場所がある。自分が振る舞っていい場所がある。
その風呂敷の外に手を出したり体を大きくだすことははない。
なぜならそれは自分の領分を超えているから。
これこそが、立ち居振る舞いの本質だと私は雷に打たれたようでした。
◆人間関係にも通じる「領域を守る」という生き方

・「おせっかい」も実は領域侵犯
この「分相応」の概念は、人間関係にも深く関わります。
相手の問題に必要以上に踏み込んで「こうした方がいいよ」「ああした方がいいよ」とアドバイスしてしまうこと、ありませんか?
これは、ジャケットをブンブン振り回して着るのと同じです。
あなたはスッキリするかもしれませんが、相手には迷惑なのです。
・職場でのコミュニケーションが劇的に変わる視点
40代50代になると、部下や後輩への指導も重要な役割になります。しかし、「指導」と「領域侵犯」は紙一重です。
自分は自分の分相応の中で振る舞い、相手は相手の分相応の中で振る舞う。
え?具体的にどういうことって思いますよね?
それは相手に「自分の頭で考える機会をちゃんと設ける」ということです。
知らないから教えてあげる、痛い目を見る前に事前に色々教えてあげるん、というのは一見正しいようですが、相手の考える力を奪います。
手取り足取り教えているうちに、相手は自分で考えることをやめ、あなたに正解を求めるようになるでしょう。
そうやって、相手が頭で考えて痛い目を見ながらでも成長する機会を奪うのです。
もし誰かがあなたの領域に手を突っ込んできたら、それは「やりすぎ」です。そっと「私の分相応に踏み込まないでくださいね」と伝えればいいのです。
◆歩き姿に現れる「その人の本質」

歩幅が大きければいいというものではない
ウォーキング指導をしていると、様々な歩き方をする方に出会います。
「ほら見て、自分っていい歩き方してるでしょ?歩幅大きいでしょ?」という方がいらっしゃいます。確かに歩幅が大きいのは健康的ですが、それを見せつけるものではないのです。
・歩き姿に透けて見える「人柄」
静かな姿勢、静かな立ち居振る舞い、ちゃんと分相応を守った方の歩き方と、自分を大きく見せようとしている人の歩き方は、見ている人には一目瞭然です。
歩き姿には、その人が他人の領域にどれだけ踏み込んでいるかが現れてしまうのです。
風呂敷から出た足で大きくジャケットを着る…まさに自分を大きく見せたい人の特徴そのものです。
◆品格ある大人になるための実践法

・ 物理的に「風呂敷の上」で練習する効果
私は指導の際、実際に風呂敷の上に立っていただき、その上でジャケットを着たり立ち居振る舞いをしていただくことがあります。
これにより、体感的に自分の分相応が分かるからです。過小評価も過大評価もせず、分相応の動きができるようになります。
・チャレンジと領域侵犯の違い
「でも、私はもっとチャレンジしたい」という方もいらっしゃるでしょう。
どうぞチャレンジしてください。しかし、チャレンジすることと他人の領域に踏み込むことは違います。
チャレンジは上に伸びていくものです。横に広がって誰かの領域を汚すことではありません。
より高く目指したいのであれば、自分の領域を知り、そこから高まっていくこと、私はそう考えています。
◆まとめ:真の大人の立ち居振る舞いとは

・表面的なマナーを超えた「在り方」
大人の立ち居振る舞いとは、単なるマナーやテクニックではありません。
自分の分相応を知り、その中で丁寧に振る舞うこと。 相手の分相応を尊重し、踏み込まないこと。
これが真の立ち居振る舞いなのです。
・あなたの人生が変わる瞬間
この本質を理解すれば、すべての所作が変わります。歩く時、椅子を引く時、ジャケットを着る時…すべてにおいて応用できる考え方です。
40代50代という人生の重要な時期だからこそ、表面的なマナーではなく、本質的な立ち居振る舞いを身につけませんか?
・今この瞬間から始められること
今すぐできることがあります。
歩く時に「自分の分相応」を意識してみてください。 ジャケットを着る時に「風呂敷の中で」を意識してみてください。 人との会話で「相手の領域を尊重する」を意識してみてください。
これだけで、あなたの立ち居振る舞い、そして人としての在り方が変わり始めます。
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