「あなたの在りたい姿とはどのようなものか」
これは自由大学「未来を歩く姿勢学」で受講生のみなさんに問いかけている言葉です。 2011年からスタートし今年で満10年を迎える姿勢学では、歩くことを学ぶプロセスを通じて 「ありたい姿」「未来にむかってどう歩んでいきたいのか」ということを考えぬきます。きっとこの一文を聞いただけでは歩くこととありたい姿にどんな関連があるのかピンとこない人の方が多いかもしれない、少し特徴的な講義です。
● 「女性である自分」の自分らしさ
去る土曜日に35期のみなさんが、全5回を終えられご卒業となりました。期ごとに話題となるテーマがありますが、今期は「女性としての在り方」がテーマといって間違いないありません。実はこれは未来を歩く姿勢学のテーマでもあります。
というのもこの10年間の講義を通じて「女性らしくあろうとすることで、女性性をアピールするように見えてしまうのではないか」という恐れのようなものを持つ方が多いと感じているからです。
姿勢学では歩き姿とあわせて、装い・ヘアスタイル・話し方・言葉の選び方という立ち居振る舞いも講義に含まれています。互いのありたい姿について語ることもあります。そうすると
- スカートには抵抗があるからはかない
- 身体のラインが分かるような服はもっていない
- 髪はおろしたら自分ではないようだからおろしたことがない
という話がポロリと出てくることもあります。男性になりたいわけではありません。でも「女性である自分」の自分らしさをどう表現したらよいのか、どのくらいのさじ加減でどのような方法で表現すれば自分の心と誤解がないのか。それを模索しているように感じています。
● 自分らしさを表現する難しさ
「意見をはっきり持っていることを知られたら、きつい人だと思われるのではないか。」など、知的さや冷静さ、賢さをあえて隠している方も多いようです。他にも「大学名(一流大学)をいうと周りが引くから言えない」という方も。「私はこう思う」「それは違う」「嫌です」と主張することを押さえがちな自分から脱却したいという想いから「もっと言いたいことを言えるようになりたい」「ハッキリ言える自分でいたい」というありたい姿を持っていることも多くあります。
講義を通じそのありたい姿を実現するためのさまざまなエッセンスをお伝えしていますが、今期35期に関していえば「自分の心のよりどころになるアイテムをひとつ身に着ける」でした。「私はこう生きていく。だからここではあえて勝負に負けるのだ。折れるのだ。私は私を裏切ったわけではない。」というようなもの、つまりアイデンティティを身に着ける。他にも「あえて振る舞いを重く遅くする」「話さない、間をとる」「笑わない」など、期によってさまざまな角度からお伝えしています。
● それぞれのありたい姿
女性として生きる、男性として生きる、どちらにしても性別による色眼鏡がついてまわるものなのかもしれません。例えば男性向けの講座「オトコの姿勢学」でも「男性だからといって堂々と歩き振る舞いたいわけではない。柔らかくしなやかに歩きたい。」という方もいました。職場での男性だからぐいぐい引っ張るリーダーであるべきという周りからの目に違和感があったようです。
女性という性で生きるにあたっての違和感ももちろんあります。社会に対しても、男性に対しても女性に対しても。
私の例で恐縮ですが、学生時代の就職活動で「えー、洋江ちゃん、ずっと働くつもりなの?信じられない」という学友の言葉は今も忘れられません。男女雇用機会均等法が施行されてから既に10年以上がたっていましたが「お嫁に行くための就職」という視点をもつ女性はひとりふたりではありませんでした。もちろん考え方はひとそれぞれです、ただ私の場合はこの言葉に違和感があった。この時の違和感は「なぜ、働けるのに働かないの?」という漠然としたものではありましたが、この違和感を常に持ち続けることそのものが、私自身の女性としての在り方をより深堀させてくれたように思います。
未来を歩く姿勢学に来てくださる方は、社会・仕事・自分・家族など、身の回りのほとんどのことについて真面目で誠実な方ばかりです。 今を一生懸命に歩む方ばかり。だからこそ女性という性で生きることの難しさ(特に仕事)に対して悩み、違和感をもつ。
そういう方にこそ私は講義を通じ、軽やかに生きるエッセンスや転換のきっかけをお伝えしたいといつも思っています。
●未来を歩く姿勢学を通じて
「色をつける」と私は表現しますが、講義の中ではおひとりおひとりの個性や持ち味、ありたい姿に合わせて、かっこよさや柔らかさ・しなやかさや強さなどのエッセンスを歩き姿にブレンドしています。 基本の型は無機質で十把一絡げという面も少なからずありますが、ここからは 本人がまったく意識していない 「独創性」「ユニークさ」「お顔や体のパーツや肉質」「声や話し方・使っている言葉」「生きてきた経験」などが効いてきます。ここが最も見たいところ。なぜなら本人が意識していない”素”こそ人間的魅力だからです。
この人間的魅力をより際立たせるために「色をつけて」いく。例えば、女性の身体のカーブを生かした歩き方は、人によってはセクシーすぎたりエロティックなものになることもあります。しかし素に知性とかっこよさをお持ちの方であれば、まったく同じように歩いたとしても、逞しく生きる女性ならではの大人のカッコよさを感じさせるものです。また実際に歩くと分かりますが、このようなエッセンスを取り入れることは心的ハードルが低く、しかも自分の心身ががらりと変わることが体感できるはずです。
こうして人間的魅力を際立たせ、ありたい姿を実現していくことが未来を歩く姿勢学の醍醐味といえます。
そして私は、性別も人種も年齢も関係のない「歩く」ということを通じて、人間的な魅力を一寸手助けする。これからの素晴らしい人生のためのヒントを日常の歩くことから得て頂く。そして経験をつみ苦楽や人との関わりを通じ、その方が本当にありたい姿と願う道に歩んでいくために、私はありたいと願います。
女性であるということ男性であるということ。すべてをこえて「自分」を生きたいとい願う方にこの講義に足を運んで頂きたい。未来を歩く姿勢学の根底にはそういう想いがあります。