人それぞれの自然体、それぞれの心地よい立ち姿

「人それぞれの自然体、それぞれの心地よい立ち姿」

日々の中では考え事をしたり、いいことがあったり、落ち込んだり、とにかく色々感情がいったりきたりする。

笑っていないと人が寄ってこない、笑っているのが善。みたいな世相もあるのかもしれないけれど、個人的には、感情商売でもないのに笑っていなくちゃのプレッシャーと「しあわせな人は笑っている=笑っていないと不幸になってしまう」ような囚われがあるとしたら、そこは無理しなくてもいいんじゃないかなと思うんです。

素の”自分を”ごまかしたり、しあわせの前提としての笑顔は、どこかに不自然さがまとわりつき、どうしても一歩奥までの信頼に結びつかない。

素の自分からでてくる笑顔は、思わず笑ってしまった時のような、思わず顔がほころんでしまった時のような笑顔だったりする。

それはかわいいし、見ていて分かる、伝わる、こちらもしあわせになる。

でも表向きの笑顔を作り続けていると、「本当に思わず笑っているのか、見られているから笑顔をつくっているのか」その人自身が本心を見失ってしまう。キメすぎ。

声も、言葉も、そして立ち姿もそうだけれど、上滑りするっていうのかな。

キメられると長く見ていられない。

本当に心からの温かさがにじみでる自然体の姿で、そっとすっと立ってそっと笑っていてくれる人に余裕と魅力、包容力を感じます。



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