こんにちは、歩き方コンサルタントの篠田洋江です。

人間関係の中で、
いろいろと説明したくなる時、ありませんか。
「いや、違う。そういうことを言いたいんじゃない」
「これこれこういう理由があって、こういう背景があって」
「私はこう思ったし、あなたのこともこう思っていて……」
つい、言葉を重ねてしまう。
ご夫婦の間でも、職場でも「ちゃんと伝えたはずなのに、なぜか伝わっていない」
そんな感覚になることがあるかもしれません。
◆分かってもらいたくなる時、何が起きているのか
「説明したくなる」
「ちゃんと伝わっていない気がする」
こういう時、私たちはつい「相手が分かっていない」と思います。
けれど多くの場合、相手の理解不足ではありません。
起きているのは、自分の中に不安が生まれている状態です。
誤解されたくない。
ちゃんとしていると思われたい。
これ以上、距離ができたら困る。
最初は小さな不安でも、それが妄想によって膨らみ、やがて大きな不安になります。
その不安が、言葉をどんどん増やしていく。
だから、言葉が多いほど、どこか嘘くさく聞こえたり「そんなに言うってことは、何かあるのでは」と思われてしまうこともあります。
その時、体に何が起きているか
では、分かってもらいたくなった時、体では何が起きているのでしょうか。
姿勢が、少し前に出る。
呼吸が浅くなり、
視線が相手に張り付く。
「分かってほしい」という圧が、空気を固くします。
体が前に出ると、筋肉は緊張し、首も自然と前に出ていきます。
◆体が前に出ている時、人は事実を見ていない

この状態のとき、人は事実を見ていません。
目は相手を見ているようで、頭の中では「きっとこう思っているはずだ」という妄想上の相手を見ています。
相手の反応ではなく「こう思われているかもしれない」という想像の相手を、ずっと見続けている。
だから、説明すればするほど、空気は重くなる。
相手を見ているようで、実は自分が思い描いた相手の像に向かって話しているからです。
結果として、相手に話しているようで、相手には話していない、という状態になります。
もしここまで読んで、「これ、私もやっているかもしれない」と感じたら、公式LINEで心の猫背診断を受け取ってみてください。
がむしゃらに変わるためではなく、今の立ち位置を、そっと確認するためのものです。
頭の中で膨らんだ相手に向かって、よかれと思った説明や言い訳を重ねると、目の前の人には
「正当化しているだけ」
「何を言いたいのか分からない」
そんなふうに聞こえてしまいます。
◆分かってもらいたくなったら、歩く

私自身も、人間ですから、分かってもらいたくなることはあります。
そんな時、私がすることは、説得でも、気持ちの切り替えでもありません。
歩きます。
ただ、体を現実に戻すために。
妄想が膨らむと、心が体から抜けたようになり、物語だけが進んでいきます。
歩くことで、足の裏に体重が乗り、呼吸が深くなり、視線が下がり、広がっていく。
景色を見ることで、固まっていた目線がゆるみ、今ここに戻ってくる。
◆歩くと、説明がいらなくなる
体が現実に戻ると、さっきまで必要だと思っていた説明が、それほど要らなかったことに気づきます。
「誤解されていても、まあいいか」
「そのうち解けるかもしれない」
「そもそも、自分の勘違いかもしれない」
言葉で整理するというより、感覚的に「まあ、いいか」と着地する。
分かってもらおうとしなくても、大丈夫だと気づく瞬間です。
◆信頼される人は、説明を我慢していない

説明しない人は、我慢して黙っているわけではありません。
自分が立ち戻る場所を、日常の中に持っている。
体を通して現実に戻る習慣があるから、誤解や評価に過剰に反応しない。
だから、説明しなくても、分かってもらえなくても、自然体でいられる。
それが、結果として信頼につながっていきます。
◆説明する前に、一度歩く
分かってもらいたくなったとき、言葉を足す前に、一歩引く。
そして、まず歩く。
妄想を小さくし、現実に戻り、本当の相手を見る。
そうすると、言葉が少なくても、佇まいだけが残ってくる。
これが、大人の立ち居振る舞いです。
◆淡々と歩く習慣が、佇まいをつくる
歩くことは、健康のためでも、気分転換のためだけでもありません。
淡々と歩くという習慣が、姿勢に出て、心に出て、振る舞いに出る。
その積み重ねが、佇まいをつくっていきます。
今日のお話が、その一歩になれば嬉しく思います。
もし、この視点を日常でもう少し確かめてみたいと感じたら、公式LINEに心の猫背診断を置いています。
読むだけで終わっても構いません。必要なときに、思い出していただければと思います。














